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| タイトル | 日 時 |
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休止のお知らせ
身の回りが何かと忙しくなってきたため、本ブログを継続することが困難となりました。 はなはだ勝手で申し訳ございませんが、休止させていただくことになりました。 短い間でしたが、お読みいだだいた方、またコメントをお寄せくださった方々に、あらためて厚くお礼を申し上げます。 2007年 3月16日 田辺 敏雄 ...続きを見る |
2007/03/17 17:30 |
なぜ「負け戦」に ・・・ 歴史問題 その6
歴史家は答える義務がある 産経新聞に「今週の世論調査から」という欄があります。 2月26日(2007年)には、「日本は従軍慰安婦問題で十分に謝罪してきたか」 という問いに対する調査結果が報じられました。回答は以下の通りです。 謝罪してきた 36.2 % 謝罪してきていない 38.6 % その他・わからない 25.2% ...続きを見る |
2007/03/03 13:26 |
なぜ「負け戦」に ・・・ 歴史問題 その5
書斎の中から答えはでてこない ...続きを見る |
2007/02/26 11:02 |
なぜ「負け戦」に ・・・ 歴史問題 その4
東京裁判史観の見直しと東京裁判 「自虐史観」「東京裁判史観」などと呼んでいる近現代史の見直しには、「残虐行為・残虐事件」をどう位置づけ、どう克服するかがカギだと前回に書きました。 もう少しハッキリ書けば、この問題の克服なしに、どのような主張や処方箋を展開しても、歴史見直しが出来るとは思いません。なにせ私たち日本人は、日本軍による残虐行為・残虐事件を、いやというほど頭に刻みこまれたがゆえに、この歴史観、歴史イメージを払拭できないでいるのですから。 そして、「残虐行為」... ...続きを見る |
2007/02/20 11:31 |
なぜ「負け戦」に ・・・ 歴史問題 その3
「残虐事件・残虐行為」の克服が大前提 ...続きを見る |
2007/02/15 13:56 |
なぜ「負け戦」に ・・・歴史問題 その2
見渡せば“敵”ばかり ...続きを見る |
2007/02/10 13:06 |
なぜ「負け戦」に・・・歴史問題 その1
われら宣伝戦に破れつゝあり ...続きを見る |
2007/02/05 10:27 |
NHKと加害報道
NHKの論調が朝日新聞のそれと似ていることは、知る人ぞ知る、と前々回(「兵糧攻め」)に書きました。 テレビ局の記者ら報道関係者が、新聞記者にコンプレックスを持っているのでは、とよく指摘されもしました。 テレビ局の報道部門は、新聞社のはるか後発のヨチヨチ歩き、報道にあたって新聞社の協力は欠かせませんでした。また、テレビ局の記者の書いた原稿は活字となって残るわけでもなく、アナウンサーに読まれれば終わりといったことも、コンプレックスの原因と聞いたことがあります。 ですから、NHKを含め、... ...続きを見る |
2007/01/31 12:57 |
環境適応が新聞経営の要諦
企業とは何ぞや、という問いにこう答えた日本人がいます。 「企業とは環境適応業である」と。 経営が「需要の創造である」(ドラッカー)にしても、一般の企業にその力はありませんから、環境にうまく適応していく重要性を表現したもので、なかなか面白い答えと思います。 戦時中、戦争熱をあおった日本の大新聞が、1945(昭和20)年の敗戦とともに消え去るどころか、逆に力を蓄え、今日では第3権力、第4権力だのと言われるまでに巨大な力をもつようになりました。よほどうまく環境に適応し、逆境を乗り越えたに... ...続きを見る |
2007/01/26 09:31 |
兵糧攻め
全国紙の発行部数を大雑把に見ると、読売新聞が約1000万部、朝日新聞800万部、毎日新聞400万部となっています。 西側の主要な新聞はと見れば、アメリカで最大の発行部数を持つ「USA TODAY」が230万部、ウォ−ルストリート・ジャーナルが200万部、何かと引用されるニューヨーク・タイムズ109万部と部数を見るかぎり、日本の全国紙は他を寄せつけません。 イギリスのザ・タイムズは70万部、フランスのル・モンドは40万部足らずといったところですから、ブロック紙といわれる北海道新聞120万... ...続きを見る |
2007/01/21 15:00 |
「インテリはサヨクであらねばならない」
世の中には実にうまいことをいう人がいます。 「毎日新聞」をして、朝日新聞の「病める妹」だと評したのを読んだときは、吹き出しそうになりました。ユーモア感覚もさることながら、たった一言で、その特徴を言い当てていることに感心してしまいました。 ...続きを見る |
2007/01/16 09:33 |
空虚な朝日社説・・・日中共同歴史研究
日中間の「歴史認識」の対立の緩和を目指して、日中共同歴史研究が、2006年末に始まりました。 テーマは「古代・中近世史」と「近現代史」の2つで、双方から10人づつの委員が出席します。日本側委員は「古代・中近世史」が5人、「近現代史」が5人で、座長は北岡伸一・東大教授です。 それに対し、中国側は歩平・社会科学院近代史研究所長を座長に、10人の委員がこれに当たります。 焦点が「近現代史」にあることは、素人目にも明らかです。中国側の委員全員が近現代史専門という報道からも推測できます。 ... ...続きを見る |
2007/01/11 07:44 |
「地上の楽園」に渡った勇君
1960(昭和35)年だったと思いますが、中学時代に机を並べた友人がしばらくぶりに顔を見せ、「勇が朝鮮に行ったんだ」となんとなく暗い顔で話します。勇君は友人の3つほど下の弟です。 その頃、在日朝鮮人の帰国事業が行われていましたが、21、2にもなるのに、この事業について私はほとんど関心を持っていませんでした。いわゆる「60年安保」の頃で、こちらの方に多少、目が向いていましたが。 ですから、友の顔がどことなく暗かったと思ったのは後日のことで、そのときはあいづちを打つ程度に接していたのだろう... ...続きを見る |
2007/01/06 07:48 |
家永三郎・元教授の変節
前回は本島・元長崎市長の右から左への転向について書きました。今回は家永三郎・元東京教育大名誉教授(故人)について紹介します。 いわゆる「進歩的文化人」には2派があり、1派は矢内原忠雄、大内兵衛のように戦争中、軍部に抵抗した人々、もう1派は清水幾太郎、家永三郎らの変節組だそうです(秦郁彦・元日大教授)。 ...続きを見る |
2006/12/21 08:04 |
本島 等・元長崎市長の急転回
今回は、右から左へ急転回 した著名人の話です。なにが、左旋回の原因だったのでしょう。 まず、次の発言をご覧ください。 ...続きを見る |
2006/12/16 12:31 |
君たちは卑怯だ ・・・ 「中国の旅」I
ここまで報告したとおり、朝日連載「中国の旅」は、中国側がそろえた“被害者”のみを取材し、それらを一方的、かつ断定的に報じたものでした。 “加害者”とされた日本側を一切、取材しなかったにもかかわらず、そのことは連載に明記されませんでした。ですから、一般読者はもちろん、大部分の学者だって、日本側の裏づけがとれているものとして読んだに違いありません。 だからこそ、百科事典、歴史教科書に記載されたのです。百科事典(平凡社『大百科事典』)から「万人坑」の例をげておきます。もちろん、「南京虐殺」や... ...続きを見る |
2006/12/12 08:05 |
その場しのぎの「朝日」 ・・・「中国の旅」H
今回は「書かれた側」の抗議・反論に対する朝日新聞社の対応です。 第二部で報じられた万人坑を例にとってお知らせいたします。「書かれた側」がしかるべき抗議をしていますし、朝日側の回答もありますので。 一口でいえば、朝日の対応はその場しのぎと断定して差し支えありません。朝日には事実を究明しようなどという姿勢は、まったく持ち合わせていないのですから。 ...続きを見る |
2006/12/07 14:54 |
本多式対処法 ・・・ 「中国の旅」G
「中国の旅」連載時、当事者、つまり書かれた側の「相応の抗議・反論」は、どうも少なかったように思われます。 ここでいう「相応の抗議・反論」とは、体験や資料等に基づき、あるていど筋道だったもので、感想程度のものは除いた話です。感想などを含めれば、大量の抗議がとどいたのは間違いないでしょう。 抗議、反論に対して、本多と朝日新聞社がどう対応したかをお知らせいたします。今回は本多勝一記者お得意の対処法です。 ...続きを見る |
2006/12/03 14:15 |
「中帰連」の敵は「天皇制」 ・・・「中国の旅」F
寄り道ついでに、「中帰連」についてもう少し。 前回、終戦時に第59師団長で、帰国後に中帰連会長になった藤田茂・陸軍中将について紹介しましたが、「供述書」にあるとおり、藤田が自らの「罪行」の原因を昭和天皇に求めていました。 もうひとつ、同じ中帰連の会長であった富永正三 の見解を紹介しましょう。 以下は、中国戦犯の手記集『天皇の軍隊〈中国侵略〉』 (1988=昭和63年12月発行)の「あとがき」からの引用です。発行されたこの時期、昭和天皇がどういう病状にあったか、想起する人もあるでしょ... ...続きを見る |
2006/11/28 08:17 |
「思想改造」されました。こんな風に ・・・「中国の旅」E
前回、第59師団の師団長であった藤田茂中将に、ほんの少し言及しました。 中国に抑留された師団長は4人、その1人が藤田師団長で、中国に「自筆供述書」を残しています。少し寄り道になりますが、藤田師団長の「証言」について書くことにします。 ...続きを見る |
2006/11/23 16:12 |